厚沢部町の農業

◆厚沢部町農業の特徴



 北海道の南西部に位置する檜山振興局管内の町村は、江戸時代から入植が進み、北海道の中で最も古い開拓の歴史があり、厚沢部町も松前藩政期からの歴史を色濃く残す町です。

 北海道農産物の代表格とも言える馬鈴しょは、大正14年(1925)に厚沢部町にあった北海道立桧山農事試作場で、日本で初めてメークインの試作が始まったといわれ、「メークイン発祥の地」と呼び親しまれています。

 農業の基盤を成す農地は、厚沢部川と安野呂川、鶉川など大きな支流沿いにひらけ、道南の中では農業基盤に恵まれた地域であります。

 当町は3つの農業地区(鶉地区・舘地区・下地区)に区分することができ、その特徴は、鶉川上流の鶉地区は中規模の水田畑作複合経営が展開し、厚沢部川上流の館地区は、50ha以上の大規模水田畑作複合経営が展開しています。対照的に下流部に位置する下地区は、中小規模の水田作経営が展開しており、上流部に進むほど畑地のウエイトが高くなっています。



 なお、檜山管内の檜山南部地域における最大の農業地域であり、経営耕地面積は3,350haと、周辺町村と比較し群を抜いて大きく、1経営体当たりの経営耕地面積は11.1haとなっており、畑地のウエイトが非常に大きく、鶉地区と館地区の2地区では普通畑のウエイトが50%前後と高く、なおかつ1経営体当たりの経営耕地面積が15ha前後と大きくなっています。

 一方、下流部に位置する下地区は、田のウエイトの高さにみるように稲作を基幹としており、1経営体当たりの経営耕地面積も5.4haとなっています。



 また、比較的規模の小さい水田畑作複合経営農家においては、高収益が見込める「立茎アスパラガス」の導入が進んでおり、農業所得確保の重要な作物となっています。

 このほか、民間の焼酎工場が町内に建設され、厚沢部町産のメークインなどや道南地域の温暖な気候を活かして栽培されるサツマイモを使用した焼酎生産が行われています。

 



★厚沢部町の沿革

・ 古くは松前藩の所領で、1678年(延宝6年)同藩のヒノキ山開放により、この伐採のため本州から杣夫(そまふ)が渡来。

 農業を副業として定着し、各河川流域の開墾が始められた。

・ 1869年(明治2年)榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が松前藩の居城、福山城を攻略したため、松前藩主らは築城途上の館城(現在の厚沢部町城丘)に避難したが、追撃してきた旧幕府軍の攻撃で落城したため、藩主らは海路対岸の津軽半島に避難。

 官軍の攻撃で旧幕府軍が箱館・五稜郭で降伏し、松前の所領回復後も松前藩は館城を拠点として「館藩」と名乗り、1871年(明治4年)の廃藩置県の際には青森県に属した。

・ 1872年(明治5年)北海道開拓使の管轄となり、1876年(明治9年)俄虫村戸長役場を設置。

・ 1906年(明治39年)4月に二級町村制を施行し、村名を厚沢部村とした。

・ 1960年(昭和35年)字名地番改正、1963年(昭和38年)3月に町政施行し現在に至る。



 




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