館城跡周辺の文化財

官軍の沢(かんぐんのさわ)

官軍の沢(かんぐんのさわ)明治2年の新政府軍の攻撃路の一つ。備前藩を中心に攻略部隊が編成され、道路改作作業が行われた。

 

稲倉石古戦場(いなくらいしこせんじょう)

稲倉石古戦場(いなくらいしこせんじょう)明治元年11月12日に行われた、松岡四郎次郎率いる幕府一聯隊と松前藩軍との古戦場。松前藩は岩壁が迫る地峡を利用して、谷底に陣地を構築していたが、旧幕府軍は、左右の岩山から谷底の松前藩軍を狙撃した。

数時間の戦闘で松前藩軍は敗色濃厚となり、撤退した。

現在は鶉ダムが建設され、古戦場は湖底に沈んでいる。

大正8年に旧松前藩士らが碧血碑を建立した。

 

鶉村古戦場(うずらむらこせんじょう)

鶉村古戦場(うずらむらこせんじょう)稲倉石の松前藩陣地を攻略した旧幕府軍が2日間滞陣した。11月14日に松前藩軍との小競り合いがあった。

旧幕府軍が館城へ偵察部隊を派遣した隙をついて、松前藩軍が二手から旧幕府軍本陣を急襲した。

奇襲攻撃は成功せず、日没とともに松前藩軍は俄虫(現厚沢部市街地)方面へ撤退した。

 

丸山古戦場(まるやまこせんじょう)

丸山古戦場(まるやまこせんじょう)11月14日に旧幕府軍館城偵察隊との間で偶発的に発生した戦闘。両軍とも決定的な打撃を与えられないまま、戦闘は終息した。

 

ロクロ場

写真準備中段丘上に所在したと伝えられる松前藩の「開墾役所跡」に川船で運搬した資材を陸揚げしたと伝えられる地域。

 

開墾役所跡(かいこんやくしょあと)

開墾役所跡(かいこんやくしょあと)安政年間頃、松前藩によって設置されたとされる施設で、コンプラ瓶が出土している。

 

米揚岱(こめあげたい)

写真準備中館城に資材を搬入したと伝えられる地域。館城跡北側の低地部分一帯。

 

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