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コンプラ瓶
コンプラ瓶とは
日本で生産され、オランダ向けに輸出された磁器瓶です。
肩の張る寸胴型の器形で、容量は正三合が普通です。
青色の呉須でローマ字が書かれるのが特徴で、
「JAPANSCHZAKY.」(日本・酒)と「JAPANSCHZOYA.」(日本・醤油)
があります。
厚沢部町「推定開墾役所跡」で出土したコンプラ瓶は末字が「A.」であることから、「JAPANSCHZOYA.」(日本・醤油)であるとわかります。
(「推定開墾役所跡」出土のコンプラ瓶)
(北斗市毛無山付近で採取されたコンプラ瓶)
「JAPANSCHZAKY.」(日本・酒)と書かれています。
厚沢部と函館方面をつなぐ旧街道に近い山中で発見されました。
どのような経緯でこの場所にコンプラ瓶が持ち込まれたのかはわかっていません。
コンプラ瓶の産地と流通
コンプラ瓶は長崎県波佐見町で生産されていました。
「コンプラ」とは、「仲買人」を意味するポルトガル語で、16世紀中頃からさかんに行われたポルトガル人との南蛮交易の中から生まれた用語で、後にオランダ人との出島交易が行われるようになってからは「コンプラ仲間」として日常の食料や燃料、梱包材料の提供を行うことでした。
コンプラ瓶は「コンプラ仲間」の発注により生産されたことから、このような名称がつけられたものと考えられています。
ところで、コンプラ瓶は長崎出島や生産地の波佐見町で出土するほか、なぜか北海道内での出土が目立ちます。
北海道で多く出土する理由や、流入経路は明らかにされていません。
参考文献
長沼孝 1997「コラムコンプラ瓶」『考古学による日本歴史10対外交渉』雄山閣出版
扇浦正義 2006「コンプラ瓶の生産と流通」『日本海域歴史大系近世篇2』第5巻清文堂出版